考察「国宝」の中の連獅子

喜久雄が大阪に行って初めて連れて行かれた公演。そこで半次郎さんに挨拶して、俊介と初対面して、そして大きな舞台での演目を、舞台袖から初めて観る。歌舞伎の家にお世話になって、歌舞伎の世界に入るんだ。という象徴のシーンでの演目が連獅子。というのもなるほどなと思いました。

おそらく、歌舞伎をよく知らない人も、外国人も、「歌舞伎」と聞いてイメージするのは、この紅白の長い毛のかつらを被って頭をふる連獅子のことだったり、あるいは暫などいわゆる歌舞伎十八番の、隈取が印象的な、大きな強い役。映画でも、ここで「THE 歌舞伎」という華やかなものをみせることで、喜久雄が歌舞伎に魅了されていく、というのを表したんだろうな、と思いました。

渡辺謙さんが女形の半次郎、というのは少し違和感があって、うん、、お初って感じではないでしょう。。と思ってはいたけど(実際に、お初は代役立てる云々となり渡辺謙さんのお初のシーンはない)連獅子は、ぴったり。勇ましく、強くかっこいい親獅子は、本物の歌舞伎役者みたいな迫力だなと思いました。

「血・血縁」がテーマのこの映画ですが、連獅子を親子で演じる。親子の絆。というのを最初にしっかりと表現しているのも、伏線なのかなと。親子の絆を表現しているのも伏線と言えるし、連獅子の「崖から子どもを落として這い上がってきた強い子だけを育てる」というストーリーも、映画に続いていると思います。半次郎は、俊介をお初の代役を喜久雄にする。と決めた時に崖から突き落としたのかなと。わざとというか喜久雄の方が芸が上だから選んだということだと思うけど、それは同時に血縁があったとしても息子のお前を代役にしない。という厳しさだったと思います。そして、そこから這い上がってこいという気持ちがあったのではないかと思います。結局、俊介が這い上がってきた時にはもう半次郎は、亡くなってしまっていたのが悲しいですが…

連獅子は実際の歌舞伎でも、親子や叔父と甥など、血の繋がりのある配役で演じることが多くて、親が子を思う姿に実際の思いを重ねてそれがまた感動ポイントでもあります。私も何度か見ましたが、もう息子がお父さんと同じ背丈になったんだ…としみじみ感じたり。今は亡き勘三郎さんと、勘九郎さん、七之助さんの3人の連獅子は、映像にも残っているので何度か見ましたが本当に感動します。仁左衛門さんと千之助さんの時は、おじいちゃんにこんなハードワークさせないで・・・!とも思いましたが…でも素敵でした。

台の上にどん!と乗って、これいつまで振り続けるの??と思う程激しく毛振りを続ける連獅子。いつのことだったか1月に上映されたときは新年らしくとても華やかな気持ちになったし、見たあとにとっても晴れやかな気持ちになる演目です。

ところで、あらすじにもある通り、最初親子の踊りがあって、毛振りスタイルになって戻って来るまでの中盤に、滑稽な場面があるのですが、私的に、え、、それ必要?みたいな、能をもとにした演目あるあるなシーンがあります。あー、、このくだりね。と思って、寝不足だとウトウトしてしまうのですが…なんとなく脈絡があるようなないような(たぶんあると思うのですが)時間が流れて、居眠りしている人もいて…このゆるい感じも贅沢だなと思うものの、着替えるために必要なのかなとも思ったり。同じ類のものだと、弁慶の、後半なぜか富樫がお酒をふるまいだすあたりも、いやこれあんまりいらなくて最後のクライマックスにはやく行ってくれ!とか思っちゃうのですが、大人になったらここも意味が理解できて楽しめるのかな。演目に対して、自分の感じ方が変わっていくのが実感できるのも、長く長く見続ける醍醐味だなと思って味わうことにします。

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