考察 「国宝」で喜久雄を見初めるシーンがなぜ「積恋雪関戸」だったのか
一番最初の、喜久雄と徳次が新年会で演じた演目、なぜ「関の戸」だったのかな、と考えてみました。
おそらく、珍しく長崎に雪が降った日だったという雪の演出が一番大事だったのではないかなと。雪がしんしんと降っているシーンで、且つ、美しい女形の遊女やらが出てくる演目である必要があったのだと思います。鷺娘も雪とともに出てくるけど、それはまた別で大事な演目として出てくるし。そうなると実はあまり思いつかないなと。故に関の戸なのかなと。
幕が開いてすぐ、「関の戸でっか」という半次郎さんも素敵だし。そのずっとずっとあとに「あの墨染めが忘れられない」というセリフにも、墨染という響きがとても素敵だなと思いました。遊女の名前って、本当に風流なものが多い。
雪がしんしんと降る中になぜか桜が咲いていて、そこに美しい墨染。しかもあらすじを読んでもらうとわかるけれど、この墨染は人間ではなく、桜の精(というと聞こえはいいけれど、恋人を殺された恨みを晴らすために桜の精となって出てきたいわゆる幽霊か妖怪みたいなもの…)
この世のものとは思えない儚さ、美しさ、それが半次郎が見初めた喜久雄だった。というのを表現するのに、やっぱりこの演目がぴったりだったんだなと思います。
「橦木町からきやんした」
「何しに来た」
「会いたさに」
この「会いたさに」という色っぽさ、儚さ、健気さ、かよわさ。これが歌舞伎によく出てくる女形のせつない美しさを表現していると思います。
ところでこの関の戸、墨染は看守の関兵衛に仕返しをするために来たわけだし、関兵衛もなぜか開き直って大伴の黒主になるし。国宝の映画の中では、関兵衛と墨染がしっとりと踊るところまでだったけど、本当の舞台では2人ともぶっかえりで衣装も変わって髪の毛振り乱して、武器みたいなの持って(墨染の武器は桜の枝だけど。そんなんで勝てるの?と思うけどそういうところは突っ込んではいけない)戦って、派手に見栄を切ってThe 歌舞伎!という形で終わります。雪がしんしんと・・・のシーンから派手なぶっかえり!という展開も、歌舞伎の舞台が見せる面白さだなと思いつつ、可憐な遊女が鬼ババアみたいになるのもあるあるなので、舞台で観る時はそういうところも楽しめると思います。

